そして、前回の記事「90年代から空洞化は言われているけど……なぜ若手が育っているのか?」では、原画アニメーターになるための訓練工程である動画が海外に発注されている中でも、国内のアニメーターがある程度育っている現状を紹介した。
今回は、アニメ業界と実写映画業界の育成システムの違い、そしてなぜ空洞化でアニメーターが足りないという話が出てくるのかという点について考えてみたい。
●スタジオで育った実写映画の巨匠たち
日本映画の黄金時代であった1950年代、溝口健二(1898年生まれ)や小津安二郎(1903年生まれ)、成瀬巳喜男(1905年生まれ)、黒澤明(1910年生まれ)、木下恵介(1912年生まれ)といった巨匠が数々の傑作を生み出し、国際的にも非常に高い評価を得ていた。
彼らが青春期を過ごしたのは、若くて元気のあった映画スタジオ(日活、松竹、東宝など)である。
当時の映画は、現在のテレビの位置付けもあったようなスーパーメディア。
テレビドラマのように映画が毎月量産される中、新人でも先輩や同僚に囲まれながらOJTを中心とした研さんを積み重ねる機会が得られた。
ところが、映画産業は1958年に11億2745万人と観客動員数のピークを迎え、それ以降テレビの普及もあり急激に落ち込んでいく。
そのため、映画会社は1960年代中盤から1970年代にかけてコストのかかる制作部門を切り離し、興行や不動産事業などに力を入れ始めることとなる。
その結果、1970年代以降、映画スタジオで育った監督は、にっかつや一部の独立プロを除き存在しなくなってしまった。
松竹出身の山田洋次監督(1931年生まれ)や東映出身の降旗康男監督(1934年生まれ)など、大手スタジオ育ちの監督が現役で映画を作ってはいるが、いずれも70代以上である。
●東映と東映アニメーションの違い
実写映画界とアニメ界のスタジオの差が一番分かりやすいのは、東映と東映アニメーションだろう。
時代劇で一斉を風靡し映画会社としてトップになったこともある東映は、戦後の1952年から演出人材の定期採用を行うことで自ら人材育成をスタートした。
次表を見ると分かるが、1950年代から1960年代初頭にかけて多くの演出人材を採用するに至った。
出身大学を見ると、東京大学出身の降旗康男氏や中島貞夫氏などを筆頭に、これらの監督は非常に高学歴。
当時の映画会社がいかに魅力的だったかを物語る証拠となっている。
しかし、前図のように1958年から観客動員数が減り始め、1960年代中盤には早くも不況産業となってしまったため、東映もそれ以降、演出人員の採用をほぼストップしてしまった。
そのため、東映が自社で演出人材を一から育てた期間はおおよそ10年で終わってしまい、それ以降、東映育ちの映画監督は姿を消してしまった。
他の大手5社の東宝、松竹、大映、日活も同じで、1960年代中盤以降人材がどんどん減りはじめ、現在では記述したが70歳以下のスタジオ育ちの監督ほとんど存在しない状況となっている。
http://bizmakoto.jp/makoto/spv/1211/07/news012_2.htmlの表参照
▲東映出身の主な映画監督(『日本映画人名事典 監督篇』などの資料をもとに筆者調べ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121107-00000023-zdn_mkt-ind
の続き
●人材を育て続けてきた東映アニメーション
一方、東映アニメーションは、1958年に『白蛇伝』を制作するにあたり、本格的にスタジオを稼働し、人材雇用を開始した。そして、1960年代前後から現在に至るまで、日本のアニメを支える人材を切れ目なく育てている。
実写映画界のように自社人材の育成を断念せず、半世紀以上に渡ってスタッフを育て続けた結果だろう。
実写映画界でも多くの人材をスタジオが抱えながら自然と才能が育つ環境があったが、同様の環境が現在のアニメスタジオにあるのではないか。
日本の実写映画よりアニメの国際的な評価が高くなっている背景には、地道な人材採用と育成があるからではないだろうか。
このようにスタジオが機能している限り人材は育つはずなのである。
アニメ業界がスタジオを維持でき、実写映画業界がスタジオを維持できなかった背景にはテレビとの関係がある。
アニメ業界はテレビアニメを供給するなどテレビと良好な関係を築いたが、実写映画業界は後発メディアであるテレビを抑え込むため、五社協定というものを作り、専属の俳優をテレビに出さなかった。
その結果、テレビ側が自前でタレントを育てたところ、メディア力の差でテレビ側のタレントの方が有名になり、実写映画業界が衰退する一因となった。
一方、米国ではハリウッドのロビー活動によって、テレビ局がゴールデンタイムの番組を制作することが禁止となり、ハリウッドの映画会社がテレビ番組を作り、不況の1960年代を乗り切った。
この違いが、現在の日米の映画のレベルの差になっているのである。
http://bizmakoto.jp/makoto/spv/1211/07/news012_3.htmlの表参照
▲東映アニメーション出身の主な映画監督(『日本映画人名事典 監督篇』などの資料をもとに筆者べ)
●なぜアニメーターが足りないという話が出るのか
「動画が海外にアウトソーシングされると、国内で原画を育てる機会がなくなるので空洞化する」という話に関しては、現状では予断に過ぎないことが分かった。
では、空洞化で国内のアニメーターが足りないという考え方がどこから来ているのか? これは、実際にアニメを制作している業界内と業界外では、経緯が異なっていると思われる。
業界内の場合、アニメーターに限って言えば、多くの人材がおり若手が育っていることは承知している。
それなのに、なぜ不足していると言うのか。
それは「自分たちの制作現場のアニメーターが足りない」ということなのである。
日本のアニメーターの推定数は3100~4500人で、現在放映しているタイトルが70(10分以上の番組)ほどなので、単純計算で1作品当たり44~64人。
劇場アニメや1月や4月始まりの新番組の作業も行われているため、実際はもっと少なくなるが、潤沢とは言えないものの、十分な人数ではある。
だが、実情はやはり「アニメーター不足」なのである。
アニメーターが3100~4500人もいても、作品の傾向があるので、仕事を頼める人間は限られることがある。
また、頼みたい人間に限って売れっ子の場合が多い。
そうすると、逆に仕事を選ばれる立場になるのである。
仕事を頼みたいアニメーターのスケジュールを獲得するのは本当に大変で、調整に四苦八苦しているケースがほとんどだろう。
以上のように、制作現場から「アニメーターが足りない」という声が出るのは、しばしば「自分たちの制作現場において」というただし書きが付いてのことなのである。
一方、業界外の「アニメーターが足りない」という声は実際に現場の状況を知らないため、何らかの情報に基づいた話となっているのがほとんどで、前項の制作現場からの声もその情報の1つになっているのだろう。
また、ちまたで盛んに言われる「若手アニメーターの労働・経済環境が厳しい」という話から、「若手が育たないのでは」という憶測が生まれるのも確かだろう。
しかし、それは問題だが、結果的に若手は育っている現実はあるので、再考の必要性があるだろう。
厳しい中でもアニメーターとして一人前になれる仕組みがあると言うのと、仕組みがないと言うのとでは、アニメーター志望者にとっても雲泥の差ではないだろうか。
の続き
●100年間、常に不足していたアニメーター
1917年に日本初のアニメ『なまくら刀』が公開されてからほぼ100年となるが、その歴史の中でアニメーターは常に不足気味だった。
草創期にはそもそもアニメーターという職制がなく、下川凹天氏、幸内純一氏、北山清太郎氏といったマンガ家や画家によってアニメは制作された。
以来、米国のような産業化が起こらず、一子相伝に近い家内制手工業的な形で人材育成が行われたこともあり、アニメーターは貴重な存在であった。
そんなアニメ界に革命が起こったのが1956年の東映動画設立である。
同社は、明確な事業目的を打ち立てながらアニメ産業を軌道に乗せた。
ただ、アニメーターを定期採用しながらシステマティックに人材育成することはできたが、年間2作の劇場アニメを公開するという目標を実現するまでの人員は育てられなかった。
そして、1963年には日本初の30分テレビアニメ『鉄腕アトム』がスタート。
この作品の大成功によりテレビアニメは一気に増加し、アニメーターの需要が逼迫(ひっぱく)する状態になった。
それ以来、一貫してテレビ番組を中心として制作数が増え続けた結果、アニメ業界では慢性的なアニメーター不足が叫ばれるようになったのである。
このように100年間に渡ってアニメーターの需要が満たされたことがなかったが、ここ2~3年は作品数が減ったこともあって、それほど逼迫した状態ではなくなったと思われる。
もっとも、2011年からテレビアニメ作品数が回復基調に入ったため、この状況がいつまで続くかは定かではない。
これはアニメーターに限ったことではないが、世の中を魅了するクリエーターはどの業界でも渇望されている。
しかし、優れた才能はいつの世も一定割合しか存在しないようで、常に不足している状態だ。
アニメ業界内での「アニメーターが不足している」という言葉の本質には、
そういった人材が欲しいという意味での「良いアニメーターがいない」といったニュアンスも含まれており、「単に絵が描けるという以上の、多くの人を感動させられる絵を描ける才能が欲しい」という欲張りな要求が根本にある。
その願望には、「今まで見たことのないような絵や動きを表現できる才能が見たい」という純粋なものから、「お客が呼べる(ゼニのとれる)才能が欲しい」といったものまであるが、その見果てぬ夢は決して満足されることはない。
従って、アニメのさらなる表現に対する願望が消えない限り、「アニメーター不足」という現象は永遠に解消しないのではないだろうか。
[増田弘道,Business Media 誠]
◆関連スレ
【産業】アニメビジネスの今・アニメ空洞化論:90年代から空洞化は言われているが……なぜ若手が育っているのか?
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1352170005/
いまだに2Dの萌えアニメしかつくれないジャップは
もはやロートル
そりゃアニメーターも貧乏だわな
あれをアニメとは認めん
ピクサーと比較してもしょうがないんじゃない?
アップルとサムソン比べるようなもん
この筆者、アニメライターとかではなくマッドハウスの前取締役だぞ
問題はそこだよな
原発作業員が多重下請けのせいで労働力のみならず幸福まで搾取されているのと同じ
末端の動画描きは「好きを仕事に」的な自己満足でモチベーションを維持しなければ
とてもやってられん
好きな仕事ができることの幸せと、人としての幸せは違うと思うんだがね
貯蓄はもちろん、結婚や子を持つという、ごくありふれた暮らしも手に入らない
アニメ業界人の結婚・出産関係の数字を出してみたら、どんなに悲惨な数字だろう
制作委員会方式になって自分らで金を用意するようになったので
いまどきは広告代理店の中抜きはない
でも広告代理店が入ってないので大手のスポンサーがいなくなって結局金がない
大手のスポンサー頼じゃないので、不景気には比較的強いというメリットはある。
それと、一時期よりも、実際の視聴者の要望を反映したアニメ作りになった。
演技の下手なタレント等を声優にごり押ししたりというのも、限定的になった。
CDしか買えない
1クール分で8900円位になればいいのに
年間10万払うからストリーミングで全てのアニメ観放題とかのがいいかな
月額8400円でBD画質無修正で見放題なら契約しそう
録画の為にHDD増やさなくていいし
SDだとテレビの大画面で見るとあれだし
ニコのは光線邪魔
アニメーターや漫画家は世界でも評価される
娯楽産業の源なのに冷遇されすぎ
最近では放射能除染作業員の冷遇が話題になったしな…
制作費の半分が放送枠を買うことに取られてるってこと?
今の現役が死んだら日本には猫の子一匹残らない
そういう奴も居るんだぜここに。めちゃくちゃやりたかったんだけどな。
貧乏暮らしも覚悟の上だった。
CMも流せるしスポンサーも付けれるんじゃないの?
TV局や広告代理店に高いマージン取られることもなくなるんじゃないかと思うのだが
1話無料で後は有料てパターンか、
視聴は無料にして他で稼ぐパターンか
何事も試してほしいね
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