神田の四川一貫という中国料理店で宴会があって、そこから遠くないそのビルを訪ねてみることにした。
いまから30年前、私は、『東京おとなクラブ』という雑誌を作っていて、本の町こと神田神保町のはずれにあるビルのワンルームの部屋を借りていた。いまで言えば、ちょっと凝ったサイトを作りましたとか、アプリを作りましたという感覚のような気もする。
1982年7月に、東中野のアパートでひとりで始めたのだが、すぐに何人もの仲間が手伝ってくれるようになった。当時は、『宝島』や『ポパイ』の元気があったし、『本の雑誌』や『広告批評』なんかも頑張っていた時代である。源喜堂でまとめ買いした『WET』や『Whole Earth Catalog』(スティーブ・ジョブズのスタンフォードでの講演の“Stay hungry,stay foolish”はこれからの引用なのですよ)を見ると、米国でも好きなように雑誌を作っている。
新宿の紀伊國屋書店や神保町の書泉ブックマートなど、全国の30くらいの書店が置いてくれた。
そこで、もう少し真面目にやろうかなと思って、オフィスを借りたのだった。
一応、事務所として借りたのだが、毎晩のように誰かが遊びに来て盛り上がる。
昼間神保町で買い集めてきた本の話だったり、出はじめのビデオデッキでいろんな映像を見たり。
コミックマーケットが、軽オフセット印刷というメディア革命がもたらしたものなら、ビデオデッキも
私のまわりだとテレビCMの録画マニアがいたりして、いまのYouTubeの楽しみかたとさほど変わらない。
発売間もないタカラ時代のバービーのコレクターがいたり、怪獣マニアがいたり。
あまりに楽しいので、ほとんど本なんか作らない。結果的に、このオフィスで編集した『東京おとなクラブ』は3年間で3冊だけ(ほかに『丸尾末広ONLY YOU』など別冊も3冊あるのだが)。
そこで、ここの家賃を稼ぎだすために商業誌や自販機本のページ編集なんかをやることになった。
その頃、ここによくいた数人の間でだけ使われていたのが「おたく」という言葉だった。
それを、“東京おとなクラブ Jr.”という連載をやらせてもらっていた『漫画ブリッコ』に、中森明夫が“おたくの研究”というのを書いたのだ。'80年代はじめは、「おたく」という言葉はそれほど特別な言葉だったわけではない
(長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』('79年)で、警部役の菅原文太に向かってDJの池上季実子が、
いきなり「おたく……」と切り出すでしょう)。
しかし、クラスターとしてのおたくというのは、この部屋から広がったんだよ。そのあと、私は、すっかりデジタルの世界にきてしまっていたわけなんだけど。
―遠藤諭(えんどう さとし)
角川アスキー総合研究所ゼネラルマネジャー。元『月刊アスキー』編集長。
元“東京おとなクラブ”主宰。コミケから出版社取締役まで経験。
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/144/144332/#eid144325
まぁ1年持たなかったが・・・
だったから広まったんだよな
他にメディアで、本来オバサン口調のオタクって使ってなかったろ?
オタクの前に、ピーって言い方があったような・・・
あれってLPからだっけ?
あと、ローディストもこのころだよな
発行かわる間に近所の本屋は入れなくなったんだよなぁ
確か昨年末に電子書籍で出ましたよね
冬眠ままのアウシタンとどこで差がでたのやら
会話で相手のことを「オタクは~」って言ってるね
トーストのセットで何時間も粘る奴らから生まれたとか
声優やる前の川村まりあとか居た
1981年の春に、友人から
「同人誌とかの集まりでご同輩の事を
『おたくさぁ…』と語りかける習慣みたいなのが出始めてて、
そいつらのことを、『おたく』と呼ぶ」
と教えられた。
二人称説、コミケ発祥の地「大田区」説がある。
さらに思い出した。
友人は、SF大会(だっけ?)に毎年参加してて、
そこで知ったんだった。
80年代半ば頃
思い出した。
81年に聞いた頃は、「おたく族」と言ってたと思う。
コミケ参加者の内、ろくに付き合いもないような作家さんに
あつかましく原稿頼む一群の連中がいて、
そいつらが、他人を呼ぶ時に使ってた言葉が
’オタク’だった。そのせいで、こいつらの蔑称が’オタク族’だった。
中森のコラムは、この手の連中を非難する内容だったけど、
中森の連載が始まるずっと前に、コミケで本を出してた友人に
オタク連中の事について、散々聞いていた。
これ、何度か書いたなーコミケだろ、発祥の地は
名前知らない人に話し掛ける場合に「おたくさ~」って
つまり、そういう会合で出会えば大概は名前聞いて、
そこからは名前で呼び合うようになるのだが、
当時の彼らは知り合って後もずっと、
「おたくさぁ…」と言い交わしていたのが、
当時としては新鮮というか奇異に映ったようだった。
名前で呼んだとしても、「●●氏(うじ)」とかね。
何だか未知或いは未見の習慣。
あなたの意味で「おたく」ってのは結構失礼なんだけど、
>>10
のような場で、相手を選ばず「おたく」っていうTPOの分からない人が
目立ったので、彼らを「おたく族」って言い出したのが最初だと記憶している
で、この「おたく」に先行して、ほぼ似た様な振る舞いをする人たちを
「ピー」(記憶が正しければレモンピープル由来)って言ってた時代があった記憶が・・・
と言ったら、
うちの娘はおたくじゃないよ
と言われた。
宮崎勤くんの事でしょ!
こいつの死後してからも
あの事件から20数年経って、それ以降に生まれた世代でも
「おたく」って言葉が定着してるんだから
ある意味、勤くんの功績は凄い!
宅八郎なんて、到底彼の足元にも及ばない!!
あの頃、漫画、ゲーム、アニメグッズを捨てられた子供は多い
あの頃だと、コアな連中は両方出入りしてたはずだし。
蛭児神健がシベールだして、ロリコンブーム引き起こして、
千之ナイフの一派が、人形姫だしてた頃の話だよね。
蛭児さんなんか、名前もみなくなったもんなー
一部ちょっと空気の読めない迷惑な人に対して使われる言葉だった気がする
いつの間にかマニアックな趣味の人全体を指す言葉にまで広がってしまった
部室へ行ったら「おたくどんなの読むの?」
と聞かれて、「生おたくだ~本当に言うんだ。」
と思って引いてしまい、他の部へ入った記憶があるので
これはうそ。
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