1: yomiφ ★:2013/05/23(木) 12:12:27.46 ID:
その響きからは、傍若無人で残酷極まりない悪の権化が想像され、圧倒的な力を誇る極めて難攻不落の存在というイメージが強い。
姿形は人の想像の数ほど存在するが、古くから物語や言い伝えなどにその名が登場してきた。
そして勇者──。こちらは、文字通り勇ましい者として、悪に立ち向かっていくイメージである。
古くは孔子の『論語』に「知者は惑わず勇者は懼れず」と記されるなど、単語としては随分前から存在していたようだ。
この魔王と勇者の存在は、1986年に最初に発売されたファミリーコンピュータ用のゲームソフト『ドラゴンクエスト』が大人気となったあたりから、ファンタジー系ゲームや小説などにおいて多用されるようになったと思われる。
勇者は戦士と賢者の要素をバランスよく織り交ぜるとともに、他者が得がたい特別な能力なども持ちあわせた物語の主人公であり、魔王は主人公の勇者が倒すべき最終目標、いわゆる“ラスボス”として君臨する。この図式は、今や説明の必要がないほどに浸透していると言っていいだろう。
ところが、近頃はその不文律が狂い始めているようである。特にライトノベルの世界では、魔王や勇者が庶民化された作品が人気となっている状況だ。
たとえば、今年1月にアニメ放送された『まおゆう魔王勇者』(橙乃ままれ/エンターブレイン)では、本来悪の権化としておぞましい姿をしているのが定番であるはずの魔王が、知性派の可愛い女性の姿をしており、戦いを挑んだ勇者に対して、無垢な色気を放ちながら世の中を変えていくために手を組むことを提案してくる。
そして、力や魔力に頼らず、農業や経済を駆使して理論的に世界を良くしていくために、魔王と勇者は協力し合いながら互いに惹かれて行くという、これまでの王道とはかけ離れたストーリーとなっていた。
また、現在アニメ放送中の『はたらく魔王さま』(和ヶ原聡司:著、029:イラスト/アスキー・メディアワークス)は、別の世界で本来の図式どおりに勇者と戦っていた魔王・サタンと腹心のアルシエルが異世界である現世に迷い込むというもの。
しかし、この世界では魔力を蓄える術がなく、元の世界に戻る方法を探すまでの間、魔王は生きながらえるために言葉を覚えて安アパートを借り、ハンバーガーショップでアルバイトを始める。
その後、魔王を追って勇者・エミリアもこの世界に降臨。互いに牽制し合いながらも、次第にこちらでの生活に馴染んでいく。
さらには、すでに今後のアニメ化が決定している『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。』(左京 潤:著、戌角 柾:イラスト/富士見書房)では、とある異世界で勇者になることを目指して勇者予備校の首席で卒業した主人公ラウルが、なぜかマジックショップ(現世の家電量販店的なショップ)の店員としてレジ打ちや商品の陳列をしていた!? というのも、ラウルが勇者試験を受ける直前になって、なぜか魔人国が崩壊してしまい、その役目を終えたとして勇者制度が廃止されてしまったのだ。と同時に、武器や防具のメーカーも破綻して不景気となり、ラウルはこのショップを展開する会社にしか就職できなかったというワケ。
そして、そのマジックショップに、今度は魔人国崩壊により行き場を失った魔王の娘たる美少女・フィノがアルバイトとして入ってきて、さらにハチャメチャな毎日に…という展開である。
これらの作品は、すでに飽和状態になっていたコンテンツを逆手に取ったアンバランス感によって新鮮さを生み出されている。ファンタジー系における新たなシェアを生み出したと言ってもいいだろう。
とはいえ、この流れは偶然なのか?
魔王と勇者が真っ当に戦う王道的コンテンツが普通に流行っていた時代と現在とを改めて見比べると、政治、経済、環境ほか、様々な面で現在は明らかに混迷を極めており、実際、一般社会においても、繁栄を極めていた会社や業界が僅かな年月で急激に没落することは、以前より珍しくない光景となっている。
魔王や勇者の庶民化も、そうした背景があるからこそ、妙にリアルに感じて共感されている部分はあるだろう。
極論に過ぎないかもしれないが、エンターテインメントの世界においても、いや、エンターテイメントだからこそ、時代の流れと密接に関係しているのかもしれない。
ラノベの流行も意外に深くてあなどりがたし! である。
勇者がメジャーになったのはDQからかもね
勇者ライディーンはDQの10年くらい前だったな。
勇者ライディーンは職業:勇者な人間じゃねーだろ
現在のイメージの勇者とは何のつながりもないよ
ちなみにDQのラスボスが初めて魔王になったのは88年の3からだから
86年のドラクエからってのは間違い
普通にゲームでも大魔王クッパや魔王ガノンや魔王ゾウナ辺りのが先発
ほろびこそ わが よろこび。
しにゆくものこそ うつくしい。
さあ わが うでのなかで いきたえるがよい!
ゾーマ様みたいな魔王の復権を求む
美少女なら許せる
そういうこった
なにその死亡フラグ。
(2)スレイヤーズがそれらをパロった
(3)それらに習っていろいろ変り種が出てきた(終わり)
の三行に日本国内の流れはまとめられると思う
スレイヤーズとフォーチュンクエストはどっちが早いんだけ?
日本における流れとしては、まずWizardryの侵略があって
そこからドルアーガが出たのがファンタジーの走りかなぁ
D&DはWizardryの元ネタとして注目されてた
向こうじゃD&Dのさらに下敷きとして指輪があったんだけど
日本じゃ指輪まで遡った奴はあんまりいなかった印象
俺も高校生の頃には、ロボットモノのSFは古くさかったし
そもそも人なのに擬人化とはこれいかに
一回こういうのが出てくると一気に類似作が出てくるのって何なんだろうな
そりゃ似たような作品を読者が求めるからじゃないか?
そういった系統がこうもごく普通の存在になるのも色々感慨深かったりもするわ
悪の侵略者が貧乏生活ってのも昔からよくあるパターンだ
エニクス漫画とか富士見ラノベとか
魔王って恥ずかしめな肩書きを自称してる奴がラスボスって
RPGなんかでも多いようで意外と少ない気がするしな
たまに共産主義化をたくらむ魔王や主人公も出せ。
ドラクエだって1のころは他のRPGと同じで事実上はそんなのりだったはずだがねえ
3の話とかはホリイの頭にうっすらとはあった程度で、殆ど後づけで作った話でしょ
神様の庶民化版聖☆おにいさんや超文明から現代文明の生活を馴染まされるガルガンティアとか。
今は無かったジャンルだからウケてるけど連発されると冷めてくるよ。
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